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続 大山阿夫利神社火祭薪能 2002 

 今年の火祭り薪能は10月2日(水)と3日(木)の2日間。
前日は台風21号で、日本各地に災害が発生し、交通が混乱した。
当日の天候が大いに心配されたが、台風一過、すばらしい好天気。
これ以上はないという薪能日和である。

 初日は、ボランティア活動の友人と出かけ、2日目は学生時代の友人と出かける。
 相手代わって主代わらず。
2日続きの能・狂言三昧である。

 火祭り薪能を見るには小田急旅行社の薪能観覧付きの宿泊または日帰り昼食の企画を申込む。
初日は、日帰り昼食、2日目は、宿泊にした。
宿泊または日帰り昼食は大山地区の先導師の旅館を利用する。
 いわゆるお寺でいえば宿坊である。
昔はお寺も神社も一緒だったから、厳格に区別する必要もない。
厳格に区別したい人のためには、阿夫利神社から分離した大山寺が近くにある。
大山寺は、関東三大不動の一つ、真言宗大覚寺派の大本山。
これも有名なお寺である。
紅葉のときの景観はすばらしいという。
お寺の宿坊は、「大山阿夫利神社」や「大山寺」に参詣する大山詣での信徒のための宿泊施設だから、比較的安く、親身なサービスに特色がある。
 食事はいわゆるお寺料理である。
昔はお寺の食事は質素で味もよくないと思っていたが、それは認識不足だった。
 食文化も仏教に多大の影響を受けているし、修行の一環として研鑚を積んでいるからとても美味しい。
四季の新鮮な食材を使い、料理も工夫を重ね、低カロリーでたいへんヘルシーな料理である。
こんなに美味しいものをいつも食べているのなら坊さんになるのも悪くないと思うほどだ。
禅寺では、食事をつかさどる役僧を典座(てんざ)というが、たいへん重要な仕事で地位も高いという。
 黄檗宗という美味しい料理で有名な禅宗もある。
「普茶料理」といい、座禅の後に出されるから、そのために座禅に行く人もいる。

 火祭り薪能における小田急の協定価格は、宿泊で1万円、日帰り昼食で4千円。
このシステムを利用すれば、確実に薪能の観覧をしながら名物の豆腐料理を食べることができる。


日程

 今年の薪能で、とくに魅力的なのは 能 「紅葉狩」。
薪能の演目の中でも、とくに「羽衣」、「土蜘蛛」、「紅葉狩」は人気があるという。
しかも、観世流宗家の観世清和をはじめ観世流一門の能役者が多数出演する。

10月2日(水)

 能 「弱 法 師」 観世 芳弘 

 狂 言「柿 山 伏」 山本 東次郎

 能 「紅葉狩」 観世 清和

10月3日(木)

能・狂言

能 「 巴 」 観世 芳伸 

狂 言「因 幡 堂」 山本 則俊

能 「道 灌」 武田 尚浩 


  10月2日(水)

  今、私は、国際交流のボランティア活動をしている。
そんな集まりで、「大山阿夫利神社の火祭り薪能はすばらしい。最高だよ」といったら「ぜひ行きましょう」ということになった。
参加者はKさん、Sさんの女性ふたりに私の3人。
 さっそく小田急旅行社に日帰り昼食の予約をする。
旅館は御坊料理(豆腐懐石)を出す「東学坊」である。
 小田急線相模大野駅に9時半に待ち合わせ、車で大山まで行く。
いわゆる昔の大山街道、今の国道246号を2時間ほど走って大山「東学坊」に着く。
 同行の女性に「大山へ来たことがあるの」と聞いてみた。
「この東学坊に豆腐懐石を食べに来たことがあります。とてもおいしいですよ」という。

豆腐懐石 松の膳 献立

先付 お造り 八寸 季節鉢 焼物 焚合せ 小鉢 御飯 水菓子



 どれもたいへん手のこんだ芸術的な料理。
期待どおりの味でたいへん美味しい。
日帰りの料理だが、宿泊の料理に優るとも劣らない。
大山の旅館の中でも最高級の料理である。

 大山阿夫利神社社務所の能楽殿で行われる火祭り薪能の会場に入場するには入場券と整理券が必要である。
入場券は旅館の予約をしたときに旅行社から貰うが、整理券は当日の朝10時から薪能の会場で先着順に配布される。
しかし、私たちの整理券は旅館のほうでとっておいてくれた。
 ゆっくりと食事をして2時半ごろ、会場の大山阿夫利神社に向かう。
私たちの席は橋掛かりの前の脇正面だったが、前から2番目という絶好の場所だった。

東学坊ホームページ


【薪能】

初日 10月 2日(水)

開場:午後3時 開演:4時  終演:8時

大山狂言・仕舞

あいさつ  伊勢原市長 大山阿夫利神社宮司
修跋
神火入場
火祭り神事


火祭り神事



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神事にはこの「越天楽が演奏される。

大山阿夫利神社
崇神天皇の御代に創建されたという。
山野の幸を司る水の神・山の神として、信仰を集めるとともに、庶民信仰の中心として今日に及ぶ。
武家が政治をとる時代になると、代々の将軍は開運の神として、武運長久を祈った。

 火祭り薪能の案内には、「元禄の昔から300年余り、伝統を誇る「大山能」火祭り薪能として再興され、はや22年目。
まさに日本の心、神事芸能の真髄にふれるひととき。
ここに幽玄の世界がある」という。

 火祭り神事は、早朝、大山阿夫利神社本社で採った神火を宮司が笙、篳篥、龍笛の雅楽、巫女を従えながら、薪能会場に移し、点火する。
かがり火の燃えるなか、巫女が神火をたずさえ、しずしずと会場まで坂を下りてくる。
古式豊かに越天楽が演奏され、宮司がおごそかに祝詞を奏上するなか、神火が赤々と燃えあがる。
 能舞台では、神事の弓矢の行事、正副奉行による火入れ式、大山狂言、仕舞などが次々と行われる。

火祭薪能 2002 



巫女 火祭り神事 雅楽の演奏


大山狂言座による狂言

 地元の人々により、江戸時代から伝えられてきた大山能。
大蔵流狂言師の指導を受けて、上演される。
今年は初日は「舎弟」、「神鳴」の2つ。
2日目は「茶壷」だった。
晴れの舞台に備えて練習に練習を重ねてきた。
なかなかの狂言で観客から暖かい拍手を受ける。


                       舎弟と神鳴


地元大山進謡会による仕舞

 初日は、経正、屋島、春日龍神。
2日目は、花月、杜若、融。
 写真は高校1年生の古宮さんが踊る見事な仕舞「花月」。
紹介のアナウンスを聞いて「ハァー」という感嘆の声が会場に流れる。




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能・狂言

 能 「弱 法 師」 観世 芳弘 

 狂 言「柿 山 伏」 山本 東次郎

 能 「紅葉狩」 観世 清和


「弱 法 師」  観世芳弘

 家を追われ盲目となったものの、澄み切った心を失わず、乞食の身を生きる青年の物語。
河内・高安の里(大阪府八尾市)に住む高安通俊(ワキ)は、人の告げ口でわが子俊徳丸を追い出し、悔やんでいる。
 ある時、難波の四天王寺で行方不明のわが子のために七日間の施しを行う。
最後の施行の日、弱法師と呼ばれる盲目の青年(シテ)が現れて施しを受ける。
乞食とはいえ「二月の雪は衣に落つ。
あら面白の花の匂ひやな」と梅の香りを愛でる風雅なおもむきで、四天王寺のいわれが語られる。
 日暮れになると弱法師は日没の方角の西方極楽浄土を拝み、難波の海を謡う。
「江月照らし松風吹き、永夜の清宵何のなす所ぞや……
                 
 [日想観]は心眼に日輪を観想する方法であるため、盲目の身にも曇り無く、
難波の入江は一望できるが、盲目の悲しさに時に物狂おしい態も見せる。
「満目青山は心にあり」(あらゆる風景はすべてわが心の中にある)という禅の要諦が語られる。

 最後に通俊は自分が父親であることを明かし、わが子弱法師の手を取って、高安の里へ帰って行く。
悲しい話だが、最後はハッピーエンドとなってほっとする。


「柿山伏」  山本東次郎

 重い幽玄の能が一転して滑稽な狂言になる。
ほっとして軽食のサンドイッチを食べる。

 羽黒山の山伏が、大峰・葛城での修行を終え帰国の途中、空腹になり、柿の木に上って柿を食う。
畑主が木の上の山伏を見つけ、「人ではないようだ」といって様々な動物の真似をさせて、なぶった末にトビだという。
山伏はトビの格好をして鳴き、木から飛び降りて腰を打つ。
見捨てて立ち去る畑主を山伏は祈り戻すが、負われた畑主の背中から振り落とされてしまう。
見えない柿を一生懸命落とそうと努力したり、見えない柿をおいしそうに食べたりする。
畑主に脅されて、いろんな動物の真似をする。
 修行を積んで神通力があるはずの山伏が未熟のため何の神通力もない。
これもおかしい。
 
 山伏を演ずるのは大蔵流山本東次郎。
畑主を演ずるのは山本則俊。
ともに日本最高の狂言師。
さすが気合のこもった演技だった。

山本東次郎狂言鑑賞会 10/23(水)・24(木)13:15〜16:00
國學院大學たまプラーザキャンパス 1号特設舞台 
狂言 初日 「禁野」「鱸包丁」「骨皮」
    2日目「鐘の音」「薩摩守」「止動方角」

入場無料 一般の方も歓迎 
東急田園都市線 たまプラーザ駅から徒歩約5分。
※ 問い合わせ、たまプラーザ事務課((045−904−7700、Eメール soumu_t@kokugakuin.ac.jp)


「紅葉狩り」  観世清和

 ここは信濃の国 戸隠山。
鬼が出るという戸隠山に出かけた豪傑の平維茂は、紅葉狩りを楽しむ女性達一行に出会う。
宴たけなわの席に誘われた維茂は、勧められるままに酒を飲み、酔い伏してしまう。
女達はそれを見届けて姿を消す。
維茂は夢の中で神のお告げを聞く。
「今の女達、実は恐ろしい鬼であるぞ・・・」と。
目を覚ました彼の前には一振りの太刀が置いてあった。
やがて先程の女が本性を現し、維茂に襲い掛かる。

 見どころは、紅葉狩りを楽しむ女性達の衣裳。
 唐織という豪華な装束を着た女が登場し、舞を演ずる。
豪華絢爛、実にすばらしい舞台である。
美女の舞の途中、酔った維茂に静ーかに近づき、寝入ったことを確かめるや、急に舞のテンポを早め一気に姿を消す。 

 いったん退場した美女たちは、衣裳を替え、かつぎをかぶって登場する。
舞台中央でかつぎを取ると恐ろしい鬼に一変する。
維茂も驚くだろうが、見ている人たちもアッと驚く。
まさに鬼面、人を驚かすといったところ。
鬼と維茂は戦いながら、舞を続ける。
やがて鬼は退治され、人々の生活は平和になる。
なかなか見応えのある能である。

※鬼とは、子孫を祝福する祖霊や地霊を指すこともあるが、ふつうは醜悪な形相と恐るべき怪力をもち、人畜に害をもたらす妖怪。



大勢の美女と変身した鬼女


2日目
 
 2日目の参加者は大学時代の友人。
女性3人を交え、8人の参加者となった。
1時半に小田急線伊勢原駅で待ち合わせる。
車3台が集まる。
定宿の上神崎旅館に着いたのは、2時ごろ。
3時に会場に入る。
軽食のサンドイッチを食べ、ビールなどを飲みながら舞台を見る。

10月 3日(木)

能・狂言

能 「 巴 」 観世 芳伸 

狂 言「因 幡 堂」 山本 則俊

能 「道 灌」 武田 尚浩  


能 「巴」 観世 芳伸 

 能 「巴」 …作者 観世小次郎
人物 ワキ 僧 シテ 里女(巴の霊)→巴 場所 近江国 粟津が原

 巴の霊が義仲との別れを再現、最期まで共に出来なかった事を嘆き、僧に供養を願う。

あらすじ

 木曽の僧、粟津で女から義仲戦死の地を教えられ、夜もすがら弔っていると、巴が在りし世の勇姿で現れ、義仲戦死の有様と思慕の情を仕方噺に見せ、弔いを頼まれる。
巴は旭将軍木曽義仲の妾。
美女ながら強弓精兵。
常にひとかどの将として功あったが、女連れの討死は恥と追い返された。
共に死ぬことのかなわなかった女武者の執心が寂しく印象的。

 美人は何を着ても似合うというが、女武者姿もりりしく美しい。
前に映画で武田信玄の女武者を美人女優 財前直美が演じたことがあるが、そんな姿を思い起こさせる舞台だった。


巴御前:平安後期、源義仲の妾。 
 巴御前は、木曾の豪族中原兼遠の娘。
生涯については『平家物語』等に残された伝説的記録だけで不詳。
美人でかつ男勝りで知られ、治承四年(1180)に敗れると追手の軍勢の前に立ちはだかり防戦に努めたという。


「因幡堂(いなばどう)」  山本 則俊 

分類:聟女狂言 夫婦物
登場人物:男(夫、シテ)、女(妻)

 大酒飲みの妻に愛想をつかした男が、妻が実家に帰ったのを幸いに離縁状を届けさせた上で、因幡堂の薬師如来に妻乞い(つまごい)をする。
 妻が腹を立てて出て、因幡堂へ行き、通夜をする夫を見つけ、「西門の一の階(きざはし)に立ったのを妻と定めよ」という告げをして、被き(かずき)姿で立つ。
 夫はお告げの妻と信じて連れ帰り、盃事をするが、この女も大酒飲みで、盃を離さない。
被きを取ったところ、それは元の木阿弥ならぬ元の妻であった。
気の毒に大酒飲みの猛妻に追われ、逃げ回る幕切れだった。

『元の木阿弥』
手を加えた甲斐があって一旦良くなったものが、再び元のつまらない状態に戻ってしまうこと。
せっかくの苦労や努力が無駄になること。

故事:戦国時代、筒井順昭が病死したとき、嗣子の順慶が幼少だったので、遺言によって順昭の死を隠し、順昭と声のよく似た木阿弥という盲人を身代わりにした。順慶が長ずるに及んで放り出され木阿弥は元の身分に戻った。身代わりのときは贅沢三昧、わがまま放題だったが、放逐されるに及んで誰も相手にしなくなった。


能 「道 灌」 武田 尚浩 

 新作能「道灌」は、伊勢原市にゆかりの深い文武両道にたけ、江戸城築城でも知られる室町時代の武将 太田道灌の故事をテーマにした。
 太田道灌は、鷹狩の帰途、雨に降られて、とある小屋に立ち寄って、雨を防ぐ蓑を所望した。
蓑というのは、茅・菅などを編んで作り、肩に羽織って用いる雨具。
 応対に出てきた若い女は、山吹の枝を差し出しただけだった。
 道灌は 「花がほしいのではない。蓑がほしいのだ」と怒って帰った。
 後で、人からそれは、「七重八重 花は咲けども 山吹のみの一つだに なきぞかなしき」の古歌を踏まえたものと聞いた。

 道灌は、自分の無学を恥じて、それから和歌のみちに志したという。


 この話はだいたいの日本人は知っている有名な話。
 
道灌は、文武に優れた武将だったが、山内、扇谷の両上杉の争いのなかで謀殺された。
新作能はこのふたつの故事をもとに作られた。
 道灌は、文武に優れた武将だったというが、舞にもすぐれていたらしい。
華やかな武将の姿もりりしく、踊る舞もなかなかのもの。


豆腐料理の夕食

 2日間にわたる火祭り薪能も無事終わった。
先週来続いた天候不順、台風21号も前日までで終わり、快晴に恵まれた。
晴れ女だという女性がふたりも参加したおかげだろう。
宿泊する上神崎旅館に戻って、8時から豆腐料理の夕食となる。
風呂が先か、夕食が先かが問題になる。
旅館はどちらでもよいという。
風呂を先にしたほうがビールは美味しいだろう。
しかし、私は10分もあればよいが、1時間も入る人もいる。
飯、風呂、寝るの順にした。
 学生時代の友人に私の妻も加わって賑やかな晩餐会となった。
大山名物の豆腐料理はとても美味しい。
食べ物にうるさいグルメの友人も満足しているようだ。
話題も薪能の話や雑談で時の経つのを忘れる。
 妻の参加は今年初めてである。
満足してくれただろうか。



定宿の上神崎旅館 学生時代の友人たち


アフター薪能

 すべての演能の終わった翌日も天候は良く晴れる。
絶好の行楽日和である。
 大山の頂上には大山阿夫利神社の本殿がある。
標高1251メ-トル。
ケーブルを降りるとそこは696メートル。
ここには、大山阿夫利神社の下社がある。
昨年はここまで来て一回りし、展望を楽しみ、大山寺に参詣して帰った。
下社から頂上まで急峻な山道をひたすら歩いて1時間半だという。

 急な山登りは身体によくない。
今年は、日向薬師、宮ケ瀬湖の観光に向かう。
暑くなし、寒くなし、しかし、紅葉にはまだ早い。
しかし欲をいったらきりがない。
都合の悪い人が帰り、6人が2台の車でドライブをする。

 20分くらいで日向薬師に着く。

「こんなところに立派なお寺があるとは知らなかった」と友人がいう。
これは認識不足。
日向薬師といえば、奈良時代の始めに、僧行基によって開創されたという神奈川県ではたいへん有名なお寺である。
高野山真言宗の名刹としても知られる。
 深い丹沢の緑、森林にに囲まれ、おごそかな神域、霊域である。
正門から入ると長い坂の参道と巨木の杉がある。
最初のときは、正面入口近くの駐車場に車を置いて参拝した。
けっこう歩きでもあり、息切れもする。
しかし、貴い神社仏閣ほど入口からの距離が遠い。
一度は歩いてみるべきである。
 私たちは、今は裏の駐車場に止める。
本堂に近くたいへん便利である。

 桜のころ、紅葉のころは一段と見応えがありそうである。
そのころ改めて来るのもいいなと思う。
 宝物館には、薬師如来像・阿弥陀如来像など25点の国重要文化財があるという。
しかし、時間が早かったせいかあいていなかった。

 日向薬師は、家内安全、病気平癒、良縁成就、学業成就など色々なご利益のある霊験あらたかなことで有名。
良縁成就、学業成就も今のところは関係ない。
本堂の前で、家族の幸せを祈る。
自分には、痛まず、苦しまず、長引かず、ポックリ死ねるようお願いをする。
 
 日向薬師の駐車場で、近くの農家が美味しそうな栗や玉ねぎを売っていた。
とても安い。
重いけれども車に載せれば問題ない。
多すぎるのが問題だが、それにしても安い。
栗は5キロで千円。
玉ねぎは10キロで500円だった。

 栗と玉ねぎを買った。
栗はみんなで分けた。
 10キロの玉ねぎを腐らせないように食べるのはたいへんだ。
当分はカレーライス、ビーフシチュ―、ハヤシライス、オニオン・スープと玉ねぎ三昧の食生活になる。
昨日は、ハヤシライスと玉ねぎのサラダを作った。
今日は栗ご飯と肉じゃがである。
 私は我家では典座を勤める。
たいへん重要な役職である。



日向薬師本堂 隣の宝物殿に立派な薬師像が祭られているが、まだ開いていなかった。



宮ケ瀬湖と丹沢の山  中央の木は樅の木。
12月には、巨大なクリスマス・ツリーとなる。


 日向薬師の裏手の林道伝いに宮ケ瀬湖に向かう。
厚木の七沢温泉を経由しながら20分ほどで宮ケ瀬湖に着く。
商店街の駐車場に車を停める。
 まずは、ビジターセンターに入る。
ちょうど他のグループがガイドの説明を受けていた。
聞いているとなかなかの名調子である。
毎日のようにガイドしていて、内容も声も磨かれたのだろう。

 昔、この周辺は中津渓谷といい、日本観光百選に入るくらい有名だった。
紅葉の時期は大勢の人々が訪れた。
観光関連の民宿、釣り宿、川魚料理、レストランなどがたくさんあった。
水没して湖の底になるから、補償として新しい観光の拠点として展望のいいところに商店街を作って入居させた。
周辺整備にも巨額の費用を使った。

 商店街の下はたいへん広い公園。
回遊する「ロードトレイン」に乗ろうという。
この宮ケ瀬湖には何度も来ているが、このロードトレインには乗ったことがない。
25分くらいでゆっくりと公園を回る。
足も疲れていた所でちょうど良かった。
 公園の中央に大きな樅の木があった。
樅の木といえばクリスマスである。
12月には、この樅の木がクリスマスツリーとして装飾され、ライトアップされて見事だという。
「いろんなイベントがあってとてもいいわよ」とKさんがいう。
さいわい、我家からは近い。
そのころに来てみようかなと思う。

 展望台から丹沢の山々に囲まれた広い湖を眺め、「ロードトレイン」で公園を一周したら昼食の時間となった。
商店街の「みはる」という展望のよい大きなレストランで早めの食事をする。
いろんな献立があるが、みんな山菜の天ぷら入りの蕎麦を食べる。
 
 共通の友人の消息や今後の計画で時間を過す。
横浜の横浜国際協力まつり・ワールド・フエスタ・紅葉の那須、熱川温泉の忘年会などが話題に上がる。
名残りは尽きないが、ここで解散の時間となった。
「次は横浜で会おう」と約束して解散する。


道灌祭り」

 今月19日(土)20日(日)、伊勢原では、伝統の観光行事「道灌祭り」が華やかに行われる。
街をあげての伊勢原の行事。
 太田道灌、北条政子などの登場するパレードが呼びものだという。
 昔から話には聞いているが、私はまだ見たことがない。
地元の総力を結集したたいへん盛大な祭りだという。
秋の1日、天気がよければぜひ行ってみよう。

伊勢原観光協会




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